本日も文香ちゃんは登場しませんでした。いろいろと帰りのバスでも考えて
いました。
一昨年の入れ替え戦以降にこあらさんという謎の人物が登場して開幕前に
前年までチアだった文香ちゃんらしきTwitterアカウントが登場。
そのアカウントの人物をメッセンジャーと呼んで幸運の通知を持ってくると
ずっとtweetしていました。不可思議な事が起こり続けました。後もう少しで
幸せがなどと思い続けてどれくらいの時間が経過したのでしょう?
甲子園に何をしに行っているのかもわかりません。
以前は選手の応援歌を何度か甲子園で歌えば覚えられたのが今は無理。
まるで元気がなく、メガフォンを叩いて応援もできなくなり、逆転本塁打が
出ても歓声すらあげられなくなりました。お金をドブに捨てているという
表現がぴったりでしょう。最近は正直同じしんどいなら、甲子園に行かずに
休日出勤をしたほうがいいのでは?と思い初めている次第です。
いつの間にやらメッセンジャーに会えば夢が叶うという構図が出来上がって
いるように思いますが、本当にそうなんでしょうか?
先日も国が引きこもりの支援に本腰を入れるという新聞記事を見ました。
いつまにやら、甲子園に文香ちゃんが登場して夢が叶うなどと盲信して
しまって全てを見失ってしまっていたのではないかと思い始めました。
夢が叶うための行動というのはσ(-ω-僕))が決めることであり、他人がどう
ではありません。甲子園にいけば行くほど疲弊してどんどん生気を僕は
失っていった。何か甲子園で不可思議なことを見せておけば、σ(-ω-僕))が
くいついてくることを周囲は知っている。つまり、コントロールすることが
可能です。なぜこないんだ!と苛立ったところでそもそもそんな約束など
最初からないのです。
そこで次回で甲子園へ行くのを打ち止めにすることにしました。
心理学のTwitterにおける周囲が味方という考えでいうならば、チアのみんなも
「なんできてくれないんですかー」などと思うなら本当の仲間などとは思って
いなくて自分たちにとって都合のいい人物に過ぎなかっただけ。
本当の仲間ならば、σ(-ω-僕))の選択を尊重するはずです。それは球界の人らも
同じです。
文香ちゃんにしろ、ずっと来てくれるなどど思うのは幼児的願望でしょう。
σ(-ω-僕))は彼女のお父さんではない。ずっとちやほやしてほしいなら他を
あたってください。こんな言い方をされて僕が嫌なら最初からそんなに好きでは
なかっただけ。
本当は昨日のファームでボロ負けしたのでちょうどいいんじゃないかな?と
思いました。僕がたびたび名前をだすマイク・グリーンウェルは7試合の
出場で怪我を理由に帰国して退団しました。ほぼゴールデンウィークの時期にね。
オープン戦から数えて次観戦出来る4日が7試合目になるんです。
自称虎党のグリーンウェルのσ(-ω-僕))には相応しい。
σ(-ω-僕))は球団から高額な給料をもらっているどころか何も契約をしている
わけですらありませんから去っても問題はありませんよね?
僕がプラスアルファの仕事を見つけるのに焦って誰かがオファーをもってくる
のもよしだし、仮になくても連中の客寄パンダから脱せるのであればストレス
から解き放たれますよ。これを逃げているというのでしょうか?
底辺労働者の僕が現実と向き合い、前に進む行動やと思います。
甲子園に行っている方が逃げている行動でしょう。
夢は思い続ければ必ずかなうものです。如何様に動こうが必ず叶うものです。
タイトルを言い忘れていました。開運グッズって苦しい時に輝いて見えて
調子よくなるとなんでこんなもんって思いませんか?
メッセのTwitterアカウントがまさにそう。苦しい時でなければブロックして
御終いでしょ。後、ずる賢い連中は困っている人から搾り取る。金持ちじゃない。